米朝さんが日経新聞に連載した「私の履歴書」(18)(2001.11.19発行)から |
60年代半ばごろ、ラジオのレギュラー番組が増えてきた。まず、毎日放送の 「なんでもかけましょう」。今では当たり前のリスナー参加のさきがけといわれ た。 近畿放送(現KBS京都)の「ゴールデンリクエスト」では毎回千通近い投書 がきて、高校生などの間にファンクラブができる騒ぎだった。 そして、ラジオ大阪の「題名のない番組」もほぼ同時期。知的トーク番組の一 つの形をつくったと評判になった。妙なタイトルは直前までスポンサーが決まら なかったためだ。オープニングのテーマ曲はベートベンの交響曲第五番の冒頭部 分、それがすぐ寄席囃子(ばやし)に変わるという珍妙なものだった。 名物番組といわれたのは作家、小松左京とのコンビが大きかった。ちょっとし た話題でも、博覧強記のSF作家の手にかかるととめどなく展開していく。脈絡 などお構いなしの天衣無縫トークで、一種連想ゲームを思わせた。いっときパロ ディーがはやり、こちらがウーンとうなるリスナーの作品がいくつもあった。一 番短い傑作はこれだった。「障子破れてさんがあり」 |