小松さんが
「Quick Japan」第63巻(2005.12.26、太田出版発行) の Radio Column に書いた「小松左京とラジオ幼年期の終わり」から |
僕がSF作家として活動を始めたのは62年。つまり、ラジオと小説をしばら くは平行してやっていたので、ラジオ大阪の200字詰め原稿用紙も、ずいぶん 使わせてもらった。 その後、自分で番組を持てと言われ、「題名のない番組」という夜11時から 始まる番組を、落語家の桂米朝さんと64年から69年まで一緒にやった。この 番組は、時間帯が深いのに高校生がよく聴いていて、受験勉強に差し支えるので はないかと心配したが、後に「昔『題なし』にハガキを出して3回採用されまし た」と大蔵省主計局に勤める若者に言われ、「大丈夫だったんだ」と喜んだこと もあった。 『題なし』以降、ラジオで番組を持ったことはない。70年には大阪万博があ り、僕も関わることになるが、その頃から僕は、TVの方に引っ張り出されるよ うになったのだ。 |