日沢伸哉著・CDブック「栄光の上方落語」(2006.06.30、角川書店発行)の
「第2章・上方落語の復興【桂米朝】」から

 さて桂米朝といえばサンケイホールの独演会が特筆される。1971(昭和4
6)年7月27日から2002(平成14)年の正月まで60回続いたが、その
先駆けとなる独演会を始めて開いたのは、1966(昭和41)年7月16日祇
園祭の宵山の日、場所は京都府立勤労会館だった。「米朝スポットショー」と銘
打った独演会は昼夜とも超満員で、米朝人気の盛り上がりを感じさせた。さらに
翌67(昭和42)年5月2日、東京紀伊國屋ホールで初めての東京独演会「上
方落語の会 桂米朝独演会」を開く。評論家の安藤鶴夫が激賞し、観客にも好評
で上方落語が東京でも通用するということがわかった重要な独演会となったので
ある。
 この米朝の活躍には、放送がかなり貢献したといってもいいだろう。1964
(昭和39)年10月に始まったラジオ大阪「題名のない番組」は、SF作家小
松左京と菊地美智子アナウンサーとの天衣無縫トークが受けた。聴取者から寄せ
られたハガキを、この三人が褒めたりけなしたりうんちくを傾けたり、ある種の
知的サロンといった趣の番組だった。ペンネームがはやったのもこの番組からで
ある。それまでの一方通行であったラジオ番組が、聴取者と送り手の間の交流、
さらに聴取者同士も仲良くなっていくというラジオの特性がこの番組で発見され
たのだ。