「小松左京マガジン」第50巻(最終号)(2013.09.28、イオ発行)の座談会1
「小松左京と上方風流」(石毛直道さん、古吟勲一さん、茂山あきらさん、小佐
田定雄さん、乙部さん)から

石毛:小松さんが米朝さんと深夜番組を始めたのは?
乙部:「題名のない番組」は1964年の10月からなんです。ラジオ大阪の「
いとし・こいしの新聞展望」の台本を書いていたのは1962年の6月までなの
で、ラジオ大阪のあったサンケイビルに出入りしている間に、どなたかの紹介で
米朝さんにお会いしていたかも知れない。64年4月1日第1回なにわ芸術祭上
方落語名人会に米朝さんが出演していたそうです。深いおつきあいは「題なし」
からだったようですが。
小佐田:『上方風流』の発行は、1963年から1967年なんですね。
乙部:そうすると、「題なし」以降に米朝さんについて『上方風流』の会合に顔
を出すようになり、扇雀(現・坂田藤十郎)さんや千之丞さん、吉村雄輝さんの
上方舞を知ったのですね。はじめて小松さんが米朝さんにお会いしたときを、特
定したいと思ったのですが。
小佐田:この間の米朝展の時に作成した年譜を見れば解ると思います。米朝さん
のメモをもとに作ったものですから。
古吟:あのメモはこまいで。わからん字で、涙出るわ〜。
小佐田:放送した題もみな書いてある。小松先生が遅刻したとか(笑)。