平家物語・巻9 木曾殿の最期


木曾殿は只一騎、粟津の松原へかけ給ふが、正月廿一日、入相ばかりの事なるに、
うす氷ははったりけり、ふか田ありとも知らずして、馬をざっとうち入れたれば、
馬の頭も見えざりけり。
あふれどもあふれども、うてどもうてども、はたらかず。
今井がゆくゑのおぼつかなさに、ふりあふぎ給へる内甲を、三浦の石田の次郎為
久おっかかってよっぴいてひやうふつと射る。
いた手なれば、まっかうを馬の頭にあててうつぶし給へる処に、石田が郎等二人
落ちあうて、つひに木曾殿の頚をばとってんげり。太刀のさきにつらぬきたかく
さしあげ、大音声をあげて、
「此日ごろ日本国に聞えさせ給ひつる木曾殿をば、三浦の石田の次郎為久がうち
奉ったるぞや」
となのりければ、今井四郎いくさしけるが、これを聞き、
「今は誰をかばわむとてかいくさをもすべき。これを見給へ、東国の殿原、日本
一の剛の者の自害する手本」
とて、太刀のさきを口にふくみ、馬よりさかさまにとび落ち、つらぬかってぞう
せにける。
さてこそ粟津のいくさはなかりけれ。