伊勢物語・第9段 東下り


 むかし、男ありけり。その男、身を要なきものに思ひなして、
京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとて、行きけり。

ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句の上にすゑて、
旅の心をよめ」と言ひければ、よめる、
  からころも
  着つつなれにし
  つましあれば
  はるばる来ぬる
  旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙おとして、ほとびにけり。

 さるをりしも、白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、
水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知
らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」と言ふを聞きて、
  名にし負はば
  いざこと問はむ
  都鳥
  わが思ふ人は
  ありやなしやと
とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。