桂 米朝

 名 跡:3代目・桂 米朝(かつら べいちょう)

 俳 号:八十八(やそはち)

 本 名:中川 清


 出囃子:都囃子
 紋  :結び三つ柏
 血液型:O型

 家族構成
  妻:元OSKの駒ひかる
  子:3人(長男は5代目桂米團治、次男・三男は双子)



■ 略歴
 1925年(大正14年)11月6日
  関東州(現・中国)大連市に生まれる。
  父 :大連市普蘭店の郵便局長
  祖父:兵庫県姫路市九所御霊天神社の神職

 1930年(昭和5年)
  姫路に戻る。

 1943年(昭和18年)
  大東文化学院(現・大東文化大学)に入学。
  作家であり落語・寄席研究家でもある正岡容の門下生(一番弟子)となる。

 1945年(昭和20年)
  姫路第10師団39連隊・突10133部隊に配属。入隊後、急性腎臓炎にかかり、陸
  軍病院に入院。終戦を迎える。

 1947年(昭和22年)
  3代目桂米團治に入門。「3代目桂 米朝」を名乗る。
  この「桂 米朝」は、一度も改名・襲名を行っていない。

 1955年(昭和30年)
  このころ落語「一文笛」を創作。

 1963年(昭和38年)
  「上方風流(かみがたぶり)」を結成。

 1964年(昭和39年)
  ラジオ大阪「題名のない番組」開始。

 1967年(昭和42年)
  関西テレビ「ハイ!土曜日です」の司会者を始める。

 1971年(昭和46年)
  大阪サンケイホールで独演会。

 1973年(昭和48年)
  大阪サンケイホールで6日間連続の独演会「米朝十八番」を始める。

 1974年(昭和49年)
  株式会社米朝事務所を設立。

 2002年(平成14年)
  東京・歌舞伎座の口演を最後に一線を退く。

 2003年(平成15年)3月
  脳梗塞と診断され入院。さらに7月に脳幹梗塞と診断され入院。
  いずれも軽度で済み、早期に活動復帰している。

 2015年(平成27年)3月19日
  午後7時41分、肺炎のため逝去。享年90(満89歳)。



■ 主な受章など
 1987年:紫綬褒章を受章。
 1996年:重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
       落語家としては、5代目柳家小さんに続き2人目。
 2002年:文化功労者顕彰を受ける。演芸人として史上初。
 2009年:文化勲章を受章。演芸人として史上初。
 2015年:従三位に追叙される。



■ フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」における説明

  桂米朝(3代目)



■ 所属事務所

  米朝事務所