小松さん逝去
 
株式会社イオ・小松左京事務所「トピックス 2011」(2011.07.26)から

2011年7月26日(火) 16時36分、小松左京は、箕面市内の病院にて肺炎のた
め死去しました。享年80歳。小松左京らしい陽気さとやさしさに満ちた臨終でし
た。葬儀は親族のみにて執り行いましたが、小松は「虚無回廊」の探索に旅立っ
たのだと思います。
読者の皆様はじめ、関係各位、多くの方々に感謝申し上げます。



小松さんの逝去について、マスコミ各社、小松さんが関係していた組織や関係者
の方のホームページに、多くの記事やコメントが掲載されています。
しかし、その量があまりにも多く、それらのすべてを紹介することができませ
ん。
そこで、このページには、小松さんが若い頃から縁のあった産経新聞大阪本社の
記事を、以下に引用させていただきます。

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産経新聞大阪本社公式ニュースサイト「関西の社会ニュース」(2011.07.29)
から

関西の社会ニュース
2011年7月29日

SF界のブルドーザー 大阪万博、花博...関西に夢与え続け 小松左京さ
ん死去


 異名は「ブルドーザー」。26日に死去した作家の小松左京さんは、かつて日
本のSFの世界で、こう形容された。「星新一さん(故人)がけもの道を開き、
小松さんが整え、その上を筒井康隆さんがスポーツカーを駆って走った」といわ
れたからだ。スケールの大きい活動を続けてきた小松さんの訃報は、SF界はも
ちろん、ファンの間にも衝撃を与えている。

 SF作家、イベントプロデューサー、文明評論家などの肩書をはじめ、映画の
総監督、大学教授をこなしたこともある。「マルチ人間」の元祖だった。「“お
祭り騒ぎ”の陰にこの人あり」といわれ、昭和45年の大阪万博ではテーマ館サ
ブプロデューサー、56年の神戸ポートピアはテーマ委員、平成2年の大阪・花
の万博では総合プロデューサーをそれぞれ務め、19年のアジア初開催の世界S
F大会では特別ゲストに招かれた。

 昭和48年に「日本沈没」で高速道路が倒れて車が転落すると書いて、専門家
から「ありえない」と非難されたが、平成7年の阪神大震災で現実になった。
「現実があとからついてくる」といわれた小松作品を象徴するエピソードだ。
「復活の日」ではウイルス、「虚無回廊」ではコンピューター理論と宇宙論を提
示するなど、テーマの先行性は他の追随を許さなかった。

 阪神大震災の廃虚を自らが体験した第二次世界大戦後の焼け野原に重ね、復興
に向かう人間のたくましさを信頼。翌年の8年には、「小松左京の大震災’95
 この私たちの体験を風化させないために」を出版し、ぬくもりのある復興支援
の大切さを訴えていた。

 晩年になっても旺盛な行動力は衰えず、年4回「小松左京マガジン」を出し続
けた。毎号、さまざまな出来事について語り、くしくも28日に出されたばかり
の最新42号では、東日本大震災について「これから日本がどうなるのんか、も
うちょっと長生きして、見てみたいいう気にいまなっとんのや」(平成23年5
月11日)などと触れ、日本の将来を心配していた。

    ◇

日本の損失ですな
 人間国宝の落語家、桂米朝さんの話
「われわれは昔から“べーやん”“こ
まっつぁん”と呼びあう仲でね。ふたりの雑談形式の『題名のない番組』(昭和
39〜43年、ラジオ大阪)では毎回、彼の知識の豊富さに舌を巻きました。決
してえらぶることもなく、私らとだじゃれを飛ばしつつ酒を飲むのが何より好き
な人でした。まことに寂しいこってす。日本の損失ですな」

人類・文明を問う
 作家、眉村卓さんの話
「覚悟はしていましたが、残念です。宇宙や人類を
テーマに壮大なスケールで描くSFを通じて、人類とは何か、文明とは何かを問
い続けました。『宇宙にとって人類とは何か』という逆説的な問いが、小松さん
らしい哲学だったと思います。豪放な性格で関西SF界のリーダー的存在でし
た。ご冥福をお祈りいたします」

壮大なスケール
 国立民族学博物館元館長、石毛直道名誉教授の話
「森羅万象さまざまなこ
とを語りあった。壮大なスケールで物事を考える人。告別式では、ひつぎの中に
小松さんの好きだった酒とたばこを入れて、『あの世でいい居酒屋を探しといて
ほしい』と語りかけた。私にとってはちょっと旅行に出かけたような感じ。作品
を通じて、これからも読者に語りかけていくと思います」

(2011年7月29日 08:49)



小松さん

楽しい作品や考える楽しさを与えてくれた作品、知識の糧となる作品など、たく
さんの、そしていろいろな分野の作品をありがとうございました。

                         広田(サイト制作者)拝